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August 17, 2013

平和を語るなら加害者の視点も

毎年8月はメディアで戦争特集が組まれ、原爆やら空襲やら沖縄戦やら日本人の悲劇が紹介されて、だから、平和が大事だと主張される。その全てを否定するつもりはない。
ただ、違和感を覚えるのは、その論法が「日本人=被害者」だから「平和」を、に終始する事だ。戦争は大抵、一方的に殺されるものではなく、殺し、殺されるもの、つまり、殺し合いである。この際、戦争責任の有無とか南京大虐殺の真偽とかは別として、右翼でも左翼でもそれ以外でも、先の戦争で日本人が敵国人を殺している事は、日本人が敵国人に殺されているのと同様に異論はない筈だ。ところが、8月にそれが語られる事は少ない。
被害者になる悲劇と同等に、加害者になる悲劇を直視しなければ、平和の実現は難しいのではないだろうか。被害者論だけを振り回せば、自分自身を振り返る事なく「加害者」側を糾弾するだけで進歩はない。加害者論だけを振り回して、自分達を卑下するだけでも同じだ。戦争による被害は、日本国民だけでなく他国民にもあって、戦争による加害も、他国民だけでなく日本国民にもある。
8月に平和を語るなら、加害者の視点も持ちたい。どう悲劇的に「殺された」か、どう悲劇的に「殺した」か、その双方を知ってこそ、私達は戦争という名の殺し合いを避けるために真剣に考える事ができる。そう思う。

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