December 31, 2008

暴走する資本主義 (ロバート・B・ライシュ)

資本主義が世界を席捲する現在、生じている問題の原因はどこにあるのか。それは資本主義の下で消費者と投資家の力が強くなった一方、民主主義を機能させるための市民や政治の力が弱くなったからだと論じる一冊。
かつてアメリカのクリントン政権で労働長官も務めた著者の文章は、アメリカを中心とした資本主義社会の豊富な実例を盛り込み、分かりやすい。「約50%の消費者が、環境保護が必要だと考えているが、しかしそれは企業の責任であって消費者の責任ではないと回答している」という調査の紹介には考えさせられた。格差社会が問題視されている日本でも多くの人々が漠然と感じているだろう現代が抱える問題の根幹を、明確に説明してくれる。その中で最も刺激的なのは、企業に社会的責任を求めることは間違っているという主張だ。企業の暴走を受け入れろという意味ではなく、責めるべきところはもっと別にあるということである。
残念だったのは、資本主義と民主主義の問題を丁寧に論じる部分の厚みに比して、それに対して提示する処方箋の部分が期待していたよりも少なかったことだ。もう少し処方箋の説明を読みたかった。
著者の考え方への賛否はともかく、資本主義に肯定的な人も否定的な人も是非読んでほしい本である。多分、新しい視点を得る一助になるだろう。

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December 15, 2007

理系思考 分からないから面白い (元村 有希子)

毎日新聞科学環境部の記者である著者が、紙上のコラムに掲載した文章に書き下ろしエッセイを加えた一冊。
自分は著者、元村記者のファンだ。美人だからという単純な理由もあるが、それだけではない。新聞を読んでいて共感したり納得したりして記者の名前を見た時、元村記者の名に頻繁に出会い、それで逆に彼女の記事があると読むようになった。真っ当で且つ分かりやすい思考と文章は、かなり好感度が持てる。
本書は科学を扱った文章が当然ながら多いが、そればかりではない。「愛国心のかたち」と題したコラムで「愛国心が悪いのではない。その意味を考えない癖がついてしまうことが怖い」と書き、「無言社会」と題したコラムで「都会に暮らしてむなしいのは、道を譲っても、肩がぶつかっても、エレベーターで順番を譲っても「ありがとう」「すみません」「失礼」の一言が返ってこない時だ」と書く。それらに自分は一々、共感する。
理数科目が苦手なのに理科好きだった自分は本書を読んで科学への興味が再燃し、科学雑誌「ニュートン」を再び読み始めた。本書は興奮の面白さや衝撃の事実を提供するものではないが、理系が食わず嫌いの人にでも楽しく読みやすい。一読の価値ある文章だと思う。

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May 13, 2007

テヘランでロリータを読む (アーザル・ナフィーシー)

イラン出身の女性英文学者が、イスラーム革命後の抑圧された社会での暮らしを英文学を通して綴った回想録。
著者が実際にイランで私的に行った読書会に基づく刺激的な題名と、某紙での好意的な書評に惹かれて自分は手に取った。ナボコフの『ロリータ』が好きな素人小説家として、イスラム社会と「表現の自由」に関心もあった。
ただ、本書は題名から連想させるほど、『ロリータ』を多く採り上げてはいない。全体としては、特定の文学作を云々するよりも、女性やいわゆる「知識人」がイスラーム革命後のイランで生活することの困難さとそれを作り出している体制への怒りに満ちた文章だ。文学に関心がなくても、イランの現実を知るのには大いに役立つ本である。
特に面白いのは、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』をアメリカ特有の不道徳な文学だと糾弾する学生に対して、著者が提案して行われる『グレート・ギャツビー』を裁判にかける授業だ。イランの学生同士がアメリカの一小説を巡って熱心な議論を戦わせる場面は、それだけでも読むに値する。その他にも随所に文学を通して、体制、信仰、恋愛等々、様々なことを考えさせる。抑圧されている社会だからこそ、文学の価値が鮮明に炙り出されるのだろうか。改めて「文学の力」を見せつけられた。そんな「文学」を自分も創り出してみたくなった。
本書のあまりの面白さに自分は未読だった『グレート・ギャツビー』を早速、購入して、今、読み始めている。

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March 04, 2007

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (東 浩紀・北田 暁大)

1971年に生まれ、東京郊外で育った二人の論客が、「東京」を素材に、サブカルチャー、都市の個性と均質化、セキュリティ、そして、ナショナリズムやリベラリズムと、様々に現代社会を論じる。
「東京」という街に関心があって読み始めたものの、知らない地域の話や学者にありがちな濫発される専門用語に辟易するところもあった。しかし、そんな読みにくさに目を瞑れば、採り上げられる話題は興味深いものが多い。
青葉台で実験的に行われている小学生にICタグを持たせて位置を把握するセキュリティ・サービスや成城の監視カメラ、ファミレスやジャスコ等の大型ショッピングセンターが並ぶ均質空間としての「ジャスコ的」郊外と下北沢再開発で問われる街の個性、自分も以前から感じていた東京における東西格差の深刻化の様な都市論だけではない。ライフスタイルの多様化と子どもの生活習慣の問題、ゴミ袋にICタグをつけるゴミ処理対策案、更には生物学的制約として「女性が類として出産する器官を独占していること」と「女性が個として出産を選択しないこと」の両立、抽象的リベラリズムの限界、等々、議論は驚くほど多岐にわたる。
随所に示唆に富む内容を含んだ面白い本だ。果たして現代人は街の個性を必要としているのか。それとも、古い人間のノスタルジーに過ぎないのか。突き詰めて考えてみたい、そんな思いを抱かされた一冊だった。

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